モーツアルトのアヴェ・ヴェルム・コルプス、教会音楽として有名ですが、
どんな背景があったのか見ていきましょう♪
この曲は教会の合唱指揮者として活動していたモーツァルトが
友人に感謝の気持ちのためにプレゼントした曲だそうです。
教会音楽には5つに種類がある
ミサ曲
レクイエム(死者のための)
オラトリオ
カンタータ
モテット(合唱曲のジャンルの一つ)
この曲は最後のモテットにあたるジャンルだそうです。
モーツァルトのこの曲が生まれるまでの背景
1756年に、ザルツブルク生まれのモーツァルト。
当時はローマ法王に任命された大司教が支配するカトリックの町で育ち、
彼の父も敬虔なカトリック信者で
また教会音楽の演奏・作曲の仕事をしていました。
そのため、小さいころから当たり前に教会音楽に囲まれていたのですね。
そしてわずか13歳ながらに大司教に仕える身となります。
このころから教会音楽の演奏・作曲をしていたのです!!
13歳からなんてすごいですね~
けれど、二人目の大司教コロレドから、
細かくクレームがでたりと、窮屈になったモーツァルトは
ついに決裂しウィーンへ。
自由になった彼は、オペラ・交響曲・ピアノ曲など様々なジャンルで
次々とヒット曲を生み出していきます。
けれど節目節目では教会音楽をつくっていたのです。
父の反対を押し切ってコンスタンツェと結婚した時は、ミサ曲を作曲。
ミサ曲ハ短調K.427
戦争がおこり、音楽活動ができなくなると
自ら出願し、ウィーンの教会音楽の中心的存在だった
聖シュテファン大聖堂の副楽長につきます。
そんな時期にこの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を作曲したのですね。
そして、この作曲からわずか半年後、
モーツアルトは亡くなってしまうのです。
教会音楽家として生きていこうとした彼が最後の作った曲、
それがこの曲なのです。
歌詞の内容は、キリストへの感謝の気持ちを込めた曲
めでたし、まことのおん体
処女マリアより生まれ
まことに苦しみを受け、犠牲となりたまえ
十字架の上にて 人のため
その脇腹はさし貫かれ
水と血にて溢れたり
われらのために
永遠の命の先立つ糧となりたまえ
死の試練の時に
この曲は4回も転調している曲なのですね。
神聖な、厳かな、
あのヨーロッパ独特の教会のひんやり寒い、
けれど人や音楽、落ち着く暗さの中のともし火の暖かさが
思い出されるような曲です。
合唱仲間とフランスを旅したとき ノートルダム大聖堂を訪ねました。そのとき、指揮者の佐々先生が 教会の方のお許しを得て この曲を合唱しましたら・・・・見えていた各国の方々の多くが 参加して下さり 大合唱になったのでした。感動で震えました!
81歳の今 振り返ってみると 人生で一番印象的な一刻でした!
その大聖堂が火事に! ああ!